それがあなたであるなら結構です
今日に至っても、その脅迫から逃れることは思いつけないらしいんです。
より美味しい食事。
より素敵な服。
より付加価値の高い車。
より快適で見栄えのする住まい。
それを提案して提供してくれるサービス。
考えてみたら当たり前のことかもしれないんですけど、っていえいえ、果たして本当にそうなんだろか?
”考えてみたら”って、簡単に言うけどそれってなんのことなのか、なにを考えたものなんだろか?
誰が考えたものなんだろか。
それって意外な盲点のような気が個人的にはしていて、だって、
より美味しい食事。
より素敵な服。
より付加価値の高い車。
より快適で見栄えのする住まい。
それを提案して提供してくれるサービス。
って、それってあなたの理由や動機として、あなたの言葉で説明できますか?
もちろん、それが必要である理由、そうだと思える理由ってこと。
どうして、より美味しい食事が必要なのか。
どうして、より素敵な服、車、住まい、すべてにおいて即答出来るあなただけの”願望”とか”欲求”、それって、本当にあなたが望んで思いつくことって、言い切れますか。
もちろん、それが本当にあなたっていう”願望”で”欲求”であるならそれでいいです。
それはなぜですか?
って、またまた問答は続くっていう。
それはなにを望んだ上での”願望”で”欲求”で、自分に必要と感じるんですか? って。
”エシカル”なんて言い方を近頃よく耳にする気がしないでもないんですけど、それを思想のように構えて身の回りのすべてを見直すべき、なんてことまではさすがに思わないんですけど、これからの世の中の”方向性”かあるいはこれからの人類に求められるまさに”倫理的”な思考の順序とか客観性のような、そんな示唆として受け止めるにはめっぽう”現象的”なワードである気はしなくもなかったりもするんですよね。
何だかまわりくどい言い草になってはしまうんですけど。
大きくて豪華な車、たくさんすれ違うんですけど、あれってその人の”成果”としてもちろん認められるべきステイタスに違いないんでしょうし、誇って然るべき”物質的表現”ってことだ
と思うんですけど、こと”エシカル”っていう例えばそんなメッセージが認識させるこれからの世の中に対する汎用性とか単純な”価値観”としての変化だとかって、たぶん結構な速度で移り変わってリアリティを増してくる気がしているんですね。
”逆さま”っていう話をしたんですけど、それってねたみでも僻みでもなんでもなくてつまり破壊と再生だとか近頃言われがちなことにもよく似た感覚としてひっくり返る、”それってどうなん?”みたいな感情や疑問を抱かせるきっかけだとか違和感のようなものにすり替わっていくんじゃないのかって、アラズヤ商店はかなり前から思っているわけなんです。
これだけの話ではまったく狭小な了見からの一方的なねたみ話みたいに受け取られてしまいそうなんですけどそういうんじゃなくて、例えば”見る人、見られる人”だとか、その作用とか想像力、あるいは感情の向かい方の変化、みたいなことが今現在の世の中、つまりは人類に察して改めることがとっくに求められているんじゃないのか、みたいなことをずっと思っているわけなんです。
その悪しき雲行きとして地面は揺れるし、目を、耳を疑いたくなるような凄惨な出来事が目まぐるしく起きてしまったりするのではないのか、ってアラズヤ商店は結構本気で思ってしまったりするんですよね。

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