コンビニエントな貧困語

 “気持ちいい“


語彙的には割と“単色系“というか、汎用性は高いけれどニュアンスは割と似通ったそんな言葉。


“気持ちいい“


体感的に活用するなら清々しさのようなことから開放的、快楽的、あるいは淫靡なニュアンスにまで活用可能なまるで天地無用水陸両用徹頭徹尾感謝感激みたいな汎用性、万能性もしくはシンプルに便利もしくは無節操だとか。


日差しが気持ちいい。

整理の行き届いた環境が気持ちいい。

マッサージしてもらって気持ちいい。

さりげない挨拶を交わして気持ちいい。


“気持ちいい“って、かつてはそういった感覚的だったり習慣的だったり道徳的な場面、つまり差し出したり受け取ったりする中で彷彿される想起される感情感覚、その表現として用いられる、コンフォートで穢れのない文脈を主として所属するものだった気がするんですよね。



“イケる“

“キマる“

“ジワる“


昨今、“語彙“はローミングか多重言語のごとく、その表現の多様性あるいは応用性を誇りながらその実、極めて短絡的あるいは平坦にして貧困なまさしく“語彙“としてものぐさな引用にとどまる“言語表現の貧困化“らしくその簡略化をいよいよ深めつつあるように個人的には感じさせられるものなんです。

なにしろご覧の通り、あたしみたいな人間は無駄に回りくどく、無駄に似た語彙やニュアンスという言葉や単語の磁力に奔走してかき集める、実にまどろっこしく無意味な手間をないよりはあったほうがよしとする今どきの感覚としてはまったく理解に苦しむに迂回傾向をこの上なく好む文体にひた走るもので、つまり昨今見られがち観察されがちな“語彙“という傾向とはまったくの逆さま。




“イケる“

“キマる“

“ジワる“

他にも色々ありそうなものなのだけれど、とはいえそんな“ものぐさ“らしく重宝しつつアクティブでスタイリッシュでジャンクでスノッブ、つまりは割と退廃的で厭世的であるらしく受け止められがちなニュアンスや発声をこれっぽっちも憚ろうとはしない“語彙“たるその態度か指向性の流通というものは思いの外、というかほとんど明らかすぎるほどの安易なメッセージ性をコンビニエントに標榜しつつ所詮単純で依存的な“傾向“程度のものとして認識し、されがちであることには滅法寛容でありながら“言語表現の貧困化“といった面倒な自覚か危機感のようなものにはまったく無関心どころか不寛容甚だしく見過ごして貫くものぐさなコミュニケーションに拘泥するものらしく。


“気持ちいい“の貧困化あるいはコンビニエント化。


“イケる“

“キマる“

“ジワる“

例えばそんなコンビニエントで陳腐とあえて言ってしまうそんな様々な“語彙“を共通化して一本化する同言語翻訳語。


“気持ちいい“


まったく個人的な、このブログの管理者権限のみにおいて言い切ってしまうか決定してしまう最適化。

それほど違和感もない気がするんですけどどうですか。

“イケる“は万能基として言うまでもなく、おクスリが“キマる“、おっぺけペー過ぎて“ジワる“など、場面こそ違うけれどそれこそがたかが分類あるいは単純な用法として、とはいえつまるところその“語彙“として求められるニュアンス、流通される作用はもとより現象を離れて単純化される“スタイル“や“ポーズ“といった極めて平坦で依存的な願望こそをコンビニエントに標榜できる万能性として選択する理想のカジュアルダウン的貧困性を思わせられなくもなかったりするものなんです。


“ 気持ちいい“の貧困化あるいはコンビニエント化。


そんな一方的な決めつけか言いがかりじみた観察の根拠さえも、つまるところSNSや様々な動画投稿サイトなど、一般素人も知識人も有名人も違わず一斉に跋扈する“プラットフォーム“というもはや生活の様式の一部と化したそんな“コンビニエント”な習慣か観察か単なる影響のようなものが思いつかせる“気持ちいい“


“面白い“、“なるほど“、“テクニック“、“ハック“、“共感“、“同情“、“嫌悪“、“妬み“、“嫉妬“


その根底に共通するコンビニエントで自己完結的な“わかる“という気持ちのよさ。

明確な理解も説明も証明も必要としない、ごく個人的で決定的でコンビニエントな充足感。


“気持ちいい“


もはや現代の多くの人々の日常における“気持ちいい“は掌の中に溢れかえっているものらしく、たまの一瞬に空を見上げたり樹々の隙間に日差しを透かしたり鳥や風や季節の匂いなどに意識を奪われるよりも手軽で便利でお節介な、目眩く跋扈する自己完結的充足的快楽、“気持ちいい“を、


“イケる“

“キマる“

“ジワる“


だとか、そんな平坦でものぐさで依存的な甘受と言っても過言でもなさそうな欲求か誤解に快適にフィットするコンビニエントな“言語表現の貧困化“にこそ依存的な、憑依的な誤解か受け売り感こそ鼻につくような退廃を隠す気もないらしくたかが無個性をまさしく個性のごとく、才能なり感性のごとく履き違えたがるものらしく憚らず“気持ちいい“を言い逃れるものらしいのです。


コケた長文ばかり書きたがるたかが文盲によるとんだ偏見などと言わないで欲しい。

ディスられるどころかまったくイケてるつもりなんですから。


だって、まあまあイケてるでしょ? 

なんだかジワるでしょ?

キマるかどうかは好みの問題として。





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