不可欠であり、不毛でこそある根拠とか摂理
あなたがよりお得な商品やサービスを検索することや、価値や話題性、優位性に富んだそんなあれこれを期待することと、
地面が揺れたり、火災で何もかもが消失してしまうこと。
それって全然無関係な話なんかではないはずって、アラズヤ商店はほとんど当たり前みたいに思うわけなんですね。
ちょっと何言ってるのかよくわからないんですけど。
とはよく言われることなのですっかり慣れっこです。
ですけど、"わかって欲しい"っていう居た堪れない欲求がちっとも隠せないこともまた事実で、諦めのつかないところであって、めっぽう面倒臭がられるところでこそあって。
あなたには、何が必要ですか。
その答えに辿り着くために、地震や災害って起こるんじゃないのか?
なんてことをときどき思ったりするんですよ。
目を疑いたくなるような大きな災害などに行き当たるたびには、そんな思いはますます深まるばかりで。
人間誰しもが、とは言えないかもしれないんですけど、それにしてもほとんどの多くの人々が望みや願いを叶えるために日夜お仕事に励むわけじゃないですか。
そうして得た対価で、叶えるわけじゃないですか。
そうして手に入れたはずのものが、どんな戒めか教訓かわかりませんけど、思いもよらない災害や事故、不毛な出来事に巻き込まれて一瞬のうちに奪われたりすることが、稀ではなくあちこちで起こる時代らしいんですよね。
もちろん今に限った話ではないし、人類は常にそういった脅威や変異を乗り越えて現代にたどり着いたはずだとは思うんですけど、それにしたって、どんな説明や言い訳や判決を述べられようが、
ちょっと何言ってるのかよくわからないんですけど。
としか言いようがないことが、近頃に至ってはどうにも頻繁に起こったりするらしく見えなくもないわけじゃないですか。
その意味、説明できますか。
ニュースはいろいろなこと伝えてくれますよ。
地殻のプレートの境に蓄積されたストレスの解放
プレートが跳ね上がった衝撃で津波が発生
非常電源の喪失
ペダルの踏み違え
人権蹂躙
年齢・性別蔑視
パワハラ・モラハラ
何だか全然関係ない話まで紛れ込んできた気がしちゃいますか。
まさか、アラズヤ商店はちっともそうは思わないですし、むしろこれってフラクタルに蓄積された現象だとか、例えば”軋轢”だなんてかなり大袈裟っぽい単語で括ったってちゃんと説明できそうな、何かを確かに見落とした結果の顛末だとか、事実とは直結しないように見えるだけで、根本から少しもそれないどころか見過ごせるはずがない単純な”感性”のようなものを蔑ろにするからこそ巻き起こる大小ひとモノ見え方こそ違えどその”根拠”は何一つ変わらない、当然の摂理が成すことではないのか、成さずにはおかないだけのことなのではないのか、なんてことをほとんど当たり前みたいに考えさせられずにはいられない気がしてしまったりするわけなんですよね。
それって、どういうことだと思いますか?
ちょっと何言ってるのかよくわからないんですけど。
なんて言わないで、考えてみて欲しいんですよね。
一人一人が考えて、ちゃんと気付かないといけない局面に、人類はとっくに踏み入れてしまっている気がするんですよ。
ほとんど手遅れに近いところまで、とっくに来てしまったんじゃないのか、とか。
たぶん、とかではなくはっきりと。
そんな気がどうしてもしてしまうんですよ。

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