おしゃれJAPAN
”おしゃれ”って、語彙が嫌いです。
あるいはそんな価値観だとか。
”一億総おしゃれ至上主義”だとか、近頃なんだかひっくるめたような言い方がお気に入りみたいな感じなんですけどそれも仕方がない、なにしろ”マクロ”としての症状をことあるごとに違和感として排除したがるアラズヤ商店の性分として致し方ないのです。
とはいえ、”おしゃれ”って、なんですか。
- 1.気のきいた服装・化粧やポーズに心掛けること。そうする人。「―な男」
- 2.心をくすぐるばかり)しゃれた。「―なドレス」
”一億総気が利いている・心掛けている”
あるいは、
”一億総心をくすぐる”
文脈的になんだかいい感じではなかろうか。
いや、そうではない。
”一億総それを求める”のだから、語彙としてベクトルが違ってくるものではないのか。
つまり、
”一億総気が利いていて欲しい・心掛けて欲しい”
あるいは、
”一億総心をくすぐって欲しい”
欲しい、のだ。
その上での”至上主義”ということ。
なんだか都合言い掛かり臭いことを言っているだろうか。
文脈的になんだか、無責任に依存的な風味がしなくもないところがこちらの作為とはこれっぽっちも噛み合わない気がしないでもないのだけれど。
言い掛かりには違いない気もなくはないのだけれど。
”おしゃれ”であることが購買行動における重要な指針であるなら、それとした欲求にフィットする、あるいはアプローチとしてその効果が広範に受け入れられるものって、それってむしろ”ステレオタイプ”ってことにはなりますまいか。
などといったことは、いちいち言われなくても割と日常的に感じさせられなくもないことのはずで、巷に見る行列だとか、話題のスウィーツに群がる女子だとか、その関心や欲求の在りかについてそこはかとなく迸る”違和感”のようなものを察する人は少なくはないはずで。
その結果として垣間見る”高級食パン店閉店ラッシュざまあ”的待ちかね感ほとばしる SNSポストだとか、”不倫炎上俳優公開処刑メシうま”的揺り戻し需要爆伸でウハウハ週刊誌だとか、つまり世間って性分あられもなく陰陽甚だしく。
”おしゃれ”の対義語って、なんですか。
辞書引くまでもなく単純な連想的感覚値としてはたぶん、”ダサい”とかその辺に平たく着地するものと思われるわけで。
つまりそれすらも逃れられざる陰陽として、”おしゃれ”イコール”ダサい”っていう直結する対義を宿命的に抱えたもののような、その予感を人々はとっくに察しながら黙しつつそれをそれとして一喜一憂する”劇場型欲求”の発散を満喫する、極めて積極的で薄情で傲慢で無責任な期待と要求と強奪を隠しも惜しみもしない野蛮で依存的な欲求こそを競い合う、言葉にするとほぼ最低みたいな根拠に紐づく経済活動というその見栄たる指針にこそまったく疑いを持たないもののように見受けられなくもなかったりするのです。
別に、珍しいこと言ってないですよね。
語彙が無駄に捻転しているだけで。
つまり”おしゃれ”って、使い捨てても惜しくない”初恋みたいなときめきのループ”だとか、そんな残酷な欲張り感情に強かにフィットするべく打ち出されるウスバカゲロウ的短命を輪廻しまくりながら貪るメンヘラじみたプロダクト、上昇か下降かも知れない無限の螺旋に踊る刹那的循環依存、などとキレの悪い反発を隠せない人類という欲求への疑わしさのことに違いなく。
”おしゃれ”って、なに。
”気が利いている”でも”心をくすぐる”でもどっちでもいいです、つまりは極めて共感的な発見が前提となることは疑いのないことで、然るに人々はそこに”陰陽”こそを弁える、あるいは見て見ぬふりを自らに躾けながら”行列”を仕出かすのではあるまいか。
過ぎてしまえば過去のこと。
”タピオカまじウケる”とか、 SNSにおける仕様変更こそお手のもので。
”おしゃれ”って、なに。
新規性に極めて臆病な”日本人”という民族性において、”気が利いている”あるいは”心をくすぐる”という認知に至る前段階、すなわち”なにそれ”という初見における疑いと排除の感情。
生命維持という本能に基づく当然とも言える拒否感情を掻き消す”わお、おしゃれじゃん最高”とばかりに本能の垣根を跨ぐ、跨がせる動機って、なに。
”だっつうわ”
流行ってるつうわ。
美味いっつうわ。
やべえっつうわ。
誇張がすぎますか。
それがおしゃれなんだっつうわ。
まあ、そんな感じということで。
必ず最初に火を覚えた勇敢な猿みたいな人がいて、”おしゃれ”はようやく延焼に至るもの。
そんなのは当たり前のことですし、燃え広がるだけ広がって自然鎮火。
新芽の生育を見込んでますます燃やしたい人もいるけれど、雨に見舞われたか火種に尽きたかどこかで鎮火。
誰の責任かって、珍しくなくなっちゃうんだから仕方がない。
早く誰か次のやつみっけてよ。
早いとこいいもん考えて着火してよ。
これが最高って、さっさと見繕ってよ一口パクッとつまませてよ。
あとは野となれ山となれ。
先んじて出し抜いて、後からくるやつ鼻で嗤うから。
”おしゃれ”って、なに。
誰の”手柄”なんですか。
いつまで続くんですか。
いつまで必要なんですか。
いつまで、信じていいんですか?
って、アラズヤ商店はとっくにその価値の行方を占うように見損なった気分でいるわけなんです。
とっくの昔から。

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