若者はそれを手本になんてしたくない
人嫌い、世間嫌いのくせに、生涯労働時間のほとんどを商売に費やしてるなんて、我ながら矛盾している。
お客が来てくれないことにはお話にならないことを生業としながら、誰彼ともなく一先ずは満遍なくお客を寄せ付けんとする”商魂”に心惹かれたことがない。
そんな見栄も、商人としてはっきりと矛盾している。
だから、ダメなのだろうか。
そうではない。
”人嫌い、世間嫌い”として、実に成功している。
むせかえる陽気の最中、ましてや週末ともあろうに、午後の時間をこんなはしたない文章書きに腐らせている。
焦燥はなくもないが、深刻なほどではない。
やはり手広く宣伝して新規顧客を獲得せねば、などとは爪の先ほども思わない。
宣伝してようやく寄りつく輩など、今どき商売の負担にしかならないと、完全に見限っている。
”カスハラ”とは総じて、鈍感で自覚を欠いた馬鹿な人間がしでかす無様のことだと思っている。
身も蓋もない言い方をしてしまえば、所詮程度問題で、この世に呼ばわる”お客”などというものは多少の違いこそありながら、基本的には無自覚なハラスメントを着た薄情ものに違いないのだと横暴なことを結構本気で思っている。
気付きに疎い人のために補足するなら、そんな性質を”損得勘定”という。
そんな前提の言い草ということだ。
恐らくそんな理解は爪の先ほども思い当たらなかったことかと思う。
”お客”とは、その程度の感度で十分としながら憚りもせず薄情に寄りつくもののことと、基本に据えている。
欲しいのに、目的があるのに薄情であるとは、矛盾していやしないか。
とはいえ、そんな自覚はないお客がこの世はほとんどなのだから、それを否定するも事実と決めつけるもたいして変わらぬ言い草であることを理解するべきなのだ。
それぞれによる”主観”ということでも問題ない。
こじつけでも屁理屈とでも好きに言え、と思う。
そんなこれっぽっちも意味のない価値もない思い込みか決めつけのようなことに、生涯労働時間のほとんどを費やしている。
それは、あたしの人生において何よりのテーマのように、当然のように感じさせられて爪の先ほどの疑いもないのだ。
我ながらおぞましいぶっ壊れぶりだ。
あたしがあたしなら、お客もお客。
お互いに矛盾しているのだから、よいではないか。
何も問題はないだろう。
そうだろうか。
多分あたしはそうは思っていないはずなのだ。
なにしろ、気持ちが悪い。
日々、あれやこれやと気持ちが悪い。
例えばなら、先頃行われた例の選挙。
随分と話題を集めたものだったけれど、その割に投票日の午後八時丁度をもって、甚だしく話題にされたものらしきが、これっぽっちも違う話だったらしいことがあけすけに晒されたことに、一体どれほどの人が気付いただろうか。
思いやられたことだろうか。
芸能人の不倫か、煽り運転に憤る野次馬か、言い方はなんでもいい。
そんな下世話な話と、少しも変わらない程度の話題でしかなかった気がしたのはあたしだけだろうか。
翌日からはほとんど甚だしいほどに当落などまるきりどうでもいい体で夥しく流布される悪辣なこき下ろし裁判で紛糾して選挙そのもののことなどもはや枝葉末節、憤るらしく言い腐る矛先は目に付きすぎた”新参者”の予想外の健闘を、まさに逆さ落としの如くこき下ろすたかが野次馬どもの陰湿な妬みと暇つぶしと閲覧数稼ぎ目当て丸出しの模倣する言い草ばかりの安牌万歳ガス抜きバッシング劇場に嬉々として終始する有り様だ。
むしろ馬鹿馬鹿しく清々しいとすら。
そう感じさせられるのは、”人嫌い、世間嫌い”のあたしならではの感覚でしかないのか。
断っておくが、あたしは件の”新参者”を支持するものではないのだ。
あたしが都民だったなら、ドクター中松か後藤輝樹に投票していた。
そんなちょこざいなものとして、まったく疑いのないたかが感覚として偉そうに何かを言っている。
ネットやSNS界隈を所詮流し見程度とはいえ眺めてみても、同じ向きのことを言っている人物や論調すら見かけないものだから、話したくて仕方がなくなってしまった。
はみ出しものでもいい。
ちっとも面白くないので、昨日の続きの”良識”なんてことよりもはるかに、発作的に話したくなってしまった。
矛盾していやしないか。
それが悪いと言いたいのではない。
その自覚のあるなし、という話がしたいのだと今のところは思っている。
先に言った通り、あたしこそ人生一貫して矛盾しているらしいのだから、矛盾することそのものに異を唱えるつもりはない。
件の”新参者”は、ネット戦略にこそ長けていたともっぱらの評判らしいではないか。
そんなこんながさせる”快進撃”だったらしいではないか。
なかなかの言い草ではないか、一体何が目的なのかいよいよわからなくなるというものだ。
有権者に訴える手立てとして、ネット戦略に長けていた。
結果、十代二十代の有権者から圧倒的に票を集めたものらしい。
まるでそれが嘆かわしい事実らしく、あちこちでそんな意見が散見される日本という有り様に、どうしてもあたしは共感を思いつけなくて困っているのだ。
若年有権者層に如何様にリーチしたか、あるいは印象に訴えたのかは、その要因らしく推察されがちなことは多くのメディアが報じているのでここでは繰り返さない。
件の”新参者”は、ネット戦略に長けたその人物が、ネットを離れた瞬間に化けの皮が剥がれた。
というのが貶めるためのもっぱらの論調らしい。
動画サイトやSNSでの切り抜き戦略で、いいとこ取りの如く有権者の印象に訴えることで快進撃を見せたその人物に欠かせないものは、勢いづかせたものは何よりも、”編集”だった。
とのことらしい。
つまりは、ネットの情報にどの年代よりも親和性の高い若年層から支持を集めたその要因として、想像に難くないとのことなんである。
総じて、口悪く見栄に腐った借り物みたいな言い草ばかりで勝ち馬に乗りたがる風情の吹き溜まる界隈においては、”これからの世代におけるリテラシーの低さは深刻に嘆かわしい”といった解釈に我が物顔で着地するものらしいのだ。
件の”新参者”が憎いのか、はたまたそれを支持した若者たちを見下したいのか。
どことなくありがちな、往々にして様々に見かけがちな悪しき願望か嫉妬のようなものが見え隠れするだけの言い草に思わされなくもない気がするのだ。
居眠りする議員の不得を澱みなく看破する人間性
件の”新参者”を支持する若者たちは、評価する点についてそう口を揃えた。
若者以外の世代の多くには、そこがつけ込む絶好のポイントに思えるらしいことに、ごく個人的な感覚として驚きが隠せない。
公示期間中に件の”新参者”について、支持する若者たち以外の人々は批判の論拠として如何様な糸口にそれを定めたか。
一行政区長として何も結果を出していない。
後ろ盾する人々にまつわるヘイト。
関連裁判についての一蓮托生の如くのバッシング。
画像編集、動画編集による誇大印象操作。
ネット記事を流し見る程度のあたしにはそんなゴシップじみた論調しか見覚え聞き覚えはない上での言い草ではあるのだけれど、とはいえ選挙となればその手のやり口などどんな国でも少しも珍しくないはずのような気がする。
ヘイトスピーチは悪口ではなく、自身の優位を誇示する強がりのアピール。
なんて捉え方もあるらしい。
何やらどことなく、ますます庶民的に感じさせられなくもないではないか。
あなたはどんな理由でその候補者を選んだのですかと訊かれて、若者たちは一様に答えた。
”居眠りする議員の不得を澱みなく看破する人間性”
立派な理由じゃないか、と思う。
印象操作にまんまとハマりやがって、と賢いらしく大人はあざ笑うものらしいのだけれど、どうしてそんなにも臭くキリのないようなことばかりを知恵か知性か知らないけれど、もっともらしく言い腐りたがるのか。
そんな知恵か知性かも当てにならなそうなもので、一体誰を支持したつもりなのか。
何を心得て見通したつもりなのか。
選挙は選挙として、何も変わらなかったことについてはなんと言い腐って勝ち誇るつもりなのか。
若者たちのシンプルすぎる理由を、支持したい気がしてしまう。
垣間見たとする人間性を理由に支持されるなら、それを裏切れば支持は失われるのだ。
選挙とは、本来そういうものではないのか。
若者に今後求められる判断は、ただそれだけのことではないのか。
根も葉もないかれっきとした事実のつもりなのか知らないけれど、あれやこれやと焚き付けて言い争うばかりの大人たちの知恵か知性かも知れないものが、件の女性首長を長らく実現させたのではなかったか。
”やめろっ”と街頭で声を荒げたものたちとしての言い草であるつもりなら、あるいはむしろそれに腹を立てたものとして意を振るうなら、もっと若者に響く言い方くらい思いつけそうなものではなかろうか。
若者たちのシンプルな判断を支持したいあたしには、わかりようもないことだ。
矛盾していやしないか。
政治を変える、東京を変えることを当たり前のように期待して謳ったはずの大人たちが、そんな選挙の最中に快進撃を見せた候補者に対して、人格を疑うとして事後に容赦無く貶めて言い腐るその魂胆が、あたしはあまりふさわしい知恵か知性のようなものが思い付かせることとは到底感じさせられない気がしてしまうのだ。
変えたいけれど、折目正しく。
何だか呑気な話ではないか。
有権者らしく選挙に臨むものとして、懐の深さを感じさせられるのは果たしてどちら側なのか、個人的には甚だ怪しく感じさせられなくもない気がしてしまうのだ。
不正選挙でも組織票でもなんでもいい。
選挙を選挙とすら機能させないらしい印象に飽き足らず貶めたのは、一体誰の仕業なのか。
少なくとも、”印象操作”にハメられたものらしい若者たちによることではなさそうなことは、あたしのような馬鹿にもなんとなくわかる。
大人になればなるほど、欲しがるくせに許容する甲斐性は衰えるものらしい。
それがもし事実なら、なんとも惨めなことではないか。
建前ばかりに縋って、借り物よろしく勝ち誇って、自らの矛盾にはこれっぽっちの自覚もない。
あたしこそいい加減だし大人げもない上に、なりたいと思える大人を見かけたことがあまり多くないことに未だに呪いを拭えない未熟な大人だったりする。
矛盾している。
それが”大人の都合”であるなら、なるほどと思えなくもない。
若者の言い草は青臭く見苦しかろうが、とっくの大人ほど矛盾を抱えたものではなさそうなところは羨ましく思う。
迎合するつもりはないし理解者ぶるつもりもない。
なんなら、若さなんてものは見苦さばかりで、今更タダでも押し付けられたくない。
老けたくはないが、若さなどという自惚れにはとっくに愛想が尽きている。
見苦しく自惚れたような歳の取り方はしたくないだけだ。
青臭くて見苦しいだけの相変わらずの願望だと思う。
せめては自覚的に、矛盾を纏える大人になりたいと常から感じている。
なれるかどうか、もちろん先行きは怪しく険しい。
ちっとも当てにならない。

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