勘違いです。それはきみのことなんです。

 ちょうどひと月ぶりの更新になるんですけど、怠けていたでもやる気がなくなったでもなんでもなくてですね、書くからには用があるわけで、ないわけないそんな用が必然、鬱陶しがられるばかりであることを自覚しながらのことでしかないんですよね。


つまるところあたしが書いてしまうことの一連たる性質は本当に嫌な感じでしょうし面倒臭かろうですし、そもそもそんないちいちの興味ないから鬱陶しいだけ、なんならまあまあムカつくし、とでも言ったところでしょうか。


重々、承知してますです。

そんな上で近頃にいたりましては自身について“思想反社”だの“商業テロリスト”だの自称して憚らない猛々しさ、もとい疎ましさばかり買い叩きたがりやがってどんな仕入れ思想かよとして爪先ほども共感したくないともっぱらの評判だとかなんとか、人っこ一人寄りつかない“商売モドキ”の様相をいよいよ呈するものなわけなんですけど。



と、まあご挨拶はこの辺までといたしましてですね。

早いもので、九月ももう目の前に差し迫ってまいりましたんですよ。

まったく気忙しいばかりで誠に嫌になるばかりなんですけど仕方ないです、嫌も嫌なりに夏の暑さにもまあまあ辟易していたわけで、この夏なんてあるまじきことにあたし、バイクでどこにも出掛けていません。

っていうか、もはや出掛けることはないでしょう。

だって今日はもう八月の晦日の週末。


いつ出掛けろって言うんですか。

いえ、まあまあ出掛けるならそれはそれとして無理でもないですけど。

だって、この週末だってろくに仕事ないですからね。

ザマアミロですか、はいはいそんなのはもうとっくに慣れてますってば。





690円カット美容室が全国拡大 平日タイムサービス順番待ち 物価高も工夫で価格維持

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久々の香ばしさ。

実際に行ってみた、の考察記事なんかも流通してるみたい。


“失われた三十年”とか、“物価も給料も取り残され日本”だとか、知らない人は多いかもしれないですけど、いよいよ日本って国連から“貧困国”認定受けちゃったんですよね。

総人口に対する潜在飢餓人口が5〜15%とかそのへんの”貧困国”としては貧困度合いがまだ軽めの分類ではあるんですけど、それにしてもかつて経済大国世界第二位まで上り詰めた国が、それからたったの三十年で”貧困国”まで成り下がるこのジャンクコースターも甚だしい乱高下。

人一人の一生ももたない国家水準って、なに。


でも、個人的にはあまり不思議に思うでもないんですよね。

だって、西側の属国なる資本主義、民主主義押し着せられ国家”日本”ですよ、その体質の仕込まれ方胡散臭さなんて、くその庶民でも察しないでもないことないはずないじゃないですか。


日本語ってどこまでも言い重ねられそうな重層感なりループ感すごいですね。

クソおしゃべりのあやとりやぁ(彦摩呂 懐


世界との物価格差、賃金格差を叫ばれ論われて久しい昨今ながら、所詮日本庶民の”経済偏差値”って、所詮なにも変わらないままなんだなと。



たかが“髪を切る”として、いそいそとサービスタイムに駆けつけてカットオンリー10分たかだからしく¥690也と。

実際行ってみてこんなんなりました、ってわざわざブログに雑な仕事ぶり貼り付けながらとはいえ10分だし値段も値段だしまあいっか、ってその通り。


お前、絶対モテねえからな。


なんていちいち言うつもりはないですけど、とは言え”値段”って、そういうことなんじゃないですか?

”価値”として了承出来るものに対しての支払う対価だから、言っても言わなくてもつまりはそういうことじゃないですか。


いい加減に、勘違いするのやめて欲しいんですよね。

そんな記事も、そんなのが当てになる気がしてしまう消費者も。


当たり前の話ですよ。


“カットが安い” じゃないんですよ。

”安い人のためのカット” なんですよ。


わかりますか?


「一般のサロンの3分の1の時間で、しかもクオリティーは落とさずにカットしている。技術に関してはオリジナルがある。時間を短縮する技法が多く含まれている。お会計も含めて20分以内には帰れる」


らしいんですけど、真に受けるなら馬鹿ですから。

クオリティーを落とさずに安く提供するなんて、そんなのプライドないだけですから。

ただの迎合ですから。

技術者としてそんなはずないでしょ、身につけるまでどれほどの手間と辛抱と苦労重ねてきたつもりなんですか。

>オリジナルがある

って、“それなりのね”って文脈くらい当たり前に読めなくてどうするんですか。


わかりますか?

つまりそれって、馬鹿なお客に優しいだけの”嘘”ですから。

ろくな仕事しませんよ、だからって下手だのいい加減だの、そんな程度しか払いたくないお客が言う資格なんてないんですよ。

だって、”安く済ませたい”だけ、”価値を認める”マインドなんて味噌糞でお金なんてちっとも払いたくないだけのケチで馬鹿なお客であること白状してるのはその人本人なんですよ。

ちゃんと選択して差し出すなりを了承して、”その程度でいい人です”ってその人は¥690の扉くぐるわけじゃないですか。

“その程度でいい人”に相応しく、そのニーズや魂胆に見合った、然るべく何かと手引いたサービスに割り切って提供してくださってるだけなんですよ、“ケチくせえだけの自分都合ばっかの集り客”って腹の中で舌出しながら。


なんて、勘違いしたらダメですよ。

これって”事実”ではなくて、”人として”当然として値踏みされる”社会性”っていう理解、当たり前の感情理解として踏まえて罷り通るべきしょんない手加減の逢瀬のことでしかないはずなんですよね。


“カットが安い” じゃないんですよ。

“身だしなみとして自分にはその程度で十分” とするその人の”自覚”するところ、選択して許容されるところの話でしかないはずなんですよね。



もう一つ勘違いしたらダメなことがあるんです。


“髪を切る” 

という目的そのものが値下がりして許容されるわけではないってこと、ちゃんと踏まえた理解を思いつけないと、あなたの“人”としての”価値”こそ見下げられてしまうのでご注意、なんです。

安く済ませたい人なりのサービスがあるからって、その”目的”までマクロに躾けて”価値”を見下げて決めつけたがるものじゃないんですよ。

そんなこと、許されるはずがないんです。

“目的”に対して、自分に授けるそれを“その程度”として見下げて惜しくない人がいるだけで、あなたもその理解を共有するかは好きにしたらいいんですけど、“目的”が見下げられる話ではないから誤解したらいけないんです。


お客であるらしく自惚れて、おかしな倫理を自分に躾けたままでいると、これからの世の中についていけなくなるので意識的な意識の変容が必要です、って重言じゃないですしとはいえこれってけっこう重たい話。

”目的”の意味さえ変わってくると思うんですよね。

つまりは”理由”だとか。


心当たりがある気がするなら、ってウチのお客さんにはそんな人いないこと願いたいんですけど、意識の変容が適わないならそんな似たもの同士の世界で、いよいよ“損得勘定”ばかりで競い合いながら管理され続ける誘導され続ける未来しか待ち受けていないはずなんですよね。

とはいえ、そういう人は基本考えたくない人だからどうせそんなことすら心になく”もっともっと”って、ただひたすら欲しながら囚われながらどこまでも満たされない仮想現実に洗脳甚だしく依存して拘泥し続けるだけなんですけど。

“気付けない”って、そういう無自覚な依存のことかと思うんですよね個人的には。


これからの世界のその前段として、これからいよいよ当たり前のことを気付けとばかりに試されるんですけど、わからない人にはどこまでもわからないし永遠の謎として逃れても良しとして尚且つ心地よく、奴隷に化かしてもくれるんですねいよいよ具体的に。


逆さまに言えば、”当たり前”さえ心得られるなら、徒らな不安や誘惑からきっと自発的な理解をもって逃れられるはずですし、多くを必要としない上で然るべき”価値”を得て払う、適切に行き交いながら充足する世界に暮らせるはずと思うんですよね。


”ユートピア”と”ディストピア”

なんて話をしてるつもりはないんですよ。

それどころか、お互いにちっとも変わらない同じ景色の世界に暮らしているし同じ社会制度の中で暮らしてるはずなんですよ。

だけど、”当たり前”っていう理解を踏まえられるかそうでないかで、自覚出来る”充足度”というものは明らかに違ってくるはずなんですよね。


”世界線”って、そういう感覚理解によって隔たれながら、それぞれに適うもののことだと思うんですよね。



おかしな話に読み取れますか。

アラズヤ、やっぱアタマおかしいですか。


そうじゃないですよ。

あたしはとっくに違う”世界線”を眺めて生きてるつもりですし、そんな“当たり前”としての振る舞いが今の世の中のほとんどの人には“思想反社”とか”商業テロリスト”なんて鬱陶しさに映りがちなだけで、あたしはそんな理解こそがちっとも、この先へのふさわしさとしてちっとも適切ではないことをほぼ確信してるだけなんですよね。


”髪を切る” ためにアラズヤ商店に来るんですか。

それって立派ですよ。

だって¥5,000って、¥690の何倍ですか。

それって、あなたがあなたに備えたい“価値”のことなんですからね。


ウチにはそんなまでの価値なんてないですよ、”髪を切る”って目的がただそれだけなら。

だからこそ”価値”があることをやりたいと日々思っているだけだし実践するばかりなんですし、LINEメッセージの通知が届くたびに鬱陶しく感じるなら、ウチになんか来なくていいんですよ意味ないしそんなもん嘘ばっかじゃないですか、ってそんな手と物言いばかりは休めたくても休める気になりきれないんですよやっぱり。


“アラズヤ商店”を、あなたばっかの都合で眺めたがるならそんなもん当てが外れたものですし、ただの失礼でしかないですから。


お勤めされてるあなた、あなたがもし“今日の日当¥3,000で”って言われたらどう思います?

“安いお店増えたよね”なんて馬鹿なこと、あたしんちで話したがるのってそれと同じこと言ってるのと変わらないって、そんな“当たり前”のリスペクトくらいちゃんと思いついて、あなたに備える”価値”を見定めるべきなんですよ。

そうしてウチが相応しくないとなれば、あたしだって諦めつきますよ。

気に食わないもん、こっちだって気に食うかって話です。

失礼でもなんでもない真っ当なだけのお互いの話じゃないですか。


アラズヤ商店は、あたしが考える“価値”を然るべく標榜して憚らずやり抜くだけです。

これからの世界って、“目的”でしか繋がれない、認知されない人って生きていけなくなるんですよ。

”目的”でしか認知できない人もまた同じこと。


つまりどういうことかわかりますか。

あたしは”何もの”として社会的には認知しかねる説明しかねる、そんな”無駄さ”こそをここで出逢う人それぞれにとっての”理由”や“価値”として認知される、”目的”として翻る認知こそを標榜したいと思ってるんです。

というかそれってこれまでもずっとでしてきたことですし、世の中はやがてこれから訪れて気付かされる”必然”を少しも理解しないし必要としなかったですし、察しようとすらしなかっただけだと思ってるんですよね実際。

上等や満足はたかが目的として、そこからはみ出るお節介で埋め合わせて余りある他にない“価値”こそを相応しくひね媚びず対等に許容されるような存在になるために必要と思えることをずっと、誤解も恐れずやり続けてますし、これからも曲げる気もないです。


所詮どっち向いてもろくなことないのがあたしの人生のほとんどだったんですし今更なにを、なんても思うんですよね実際。

面倒に尖ったジジイになりたいんですよこのまま当たり前みたいに。

この世は好かれたがりばかり、好かれたがり好きばかりで反吐が出るんです実際。



¥690が、どうしましたか。


批判ではなくて、一つの選択として当たり前に許容してそう言える世界をあたしはとっくに選んでるつもりですし、それが通じないならこっちくんなとすら思います。


あなたが見る世界は、どんな景色ですか。

願わくは、一人でも多くの方があたしと同じ”世界線”にありますように。




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