”常識” なんて、量子もつれも甚だしいことばかり世間は言い腐る
前回の記事があまりにも気狂いじみて長すぎて、我ながらやべえなって思いました。
冒頭数行で挫折される方がほとんどだったかと思うんですけど、それって無理もない話です。
もちろん承知の上ですし、承知の上でとめどない有り様を憚れないんですから、あれはもはや“病気” です。
アタマおかしいです。
とはいえです。
あたしはあたしとして、“アタマおかしい” と規定するその倫理に、やっぱり疑いを感じずにはいられない気がどうしてもしてしまうんですよね。
皆さんがあたしみたいのを“アタマおかしい” とするその倫理ないし根拠のような、つまりは単に“感覚”ということでもいいかと思うんですけど、つまりはその“基準”みたいなもののそもそもの疑わしさってことなんですけど。
だって、石破さんだったじゃないですか。
大手のメディアでそれを現実的に考えられるケースとして予測していたところはほとんどなかった気がするんですよね。
XとかSNS界隈で個人的にそんな予測をしていた人はあたしも見かけましたよ。
でも問題はそういうことじゃなくて。
“マスコミ”として、一般への周知や方向付けとしてそれを演出する雰囲気はなかったでしょ? ってことなんですよね。
なんなら“自民野党” だの“地味すぎて選挙に勝てない” だのって批判的な見通しを語る方が無難みたいな雰囲気だったかと思うんですよね。
だけど、結果は違ったじゃないですか。
後付けとまで腐す必要もなく、それを政治的な事情として説明出来るらしいことも理解しますよ。
その上で、増税路線だの親中だの防衛偏重の経済素人だとかって、見通しは芳しくない向きの話も少なくないみたいですし、反対意見は反安倍の立場を隠さない人たちがほとんど。
どっちがどう、ってどちらかを切り捨てるような話をしたいんじゃないんですよね。
むしろ、またそうして皆さんはどっちがどうとしたどちらかの話を鵜呑みにして“常識” を気取りたがるばかりなんですか、ってことなんです。
その結果、次の事態をどう“予測” に適うものとして受け入れるつもりなんですか。
“常識” らしく、 ってことです。
あたしはやっぱりアタマがおかしいので、結果を見て即座に思ったんですよね。
“世界線が変わった” って。
一国の総理大臣が変わろうっていうんですから変わるものは変わるでしょう、っていうのはつまらない話なんですよ、っていうか、いよいよ意味がなくなる話なんですよそんな感覚に基づく決めつけや理解のつもりなんてことは。
って、あたしは思ってるんですよね。
いろんな有識者や界隈の人たちが石破さんのこれからの動向や日本の行方を分析されてあちこちでお話しされてるんですけど、口の悪いこと言っちゃうと、そんなお前らって石破の勝ちを誰よりも先んじて言いたがったかよ、ってことなんですよね。
予想は違っちゃったけど、事実がそれならそれについて語れることはなくもないよ、っていう姿勢を批判したいつもりなんてこれっぽっちもない話をしてます。
地震予測を外した学者を責める気になんてなれないのと同じくらいの心境的理解で話してます、ってことです。
誰も予想してなかったことが、事実として現れました。
そんな“事実” こそを”事実” として、“予測” に適うものとして余程“当たり前” に踏まえたい気がしますよ、ってことなんですけど、なに言いたいのかわかりますかね。
あたしは石破さんを支持するもしないもそもそも考えたことすらない人としてもの言うつもりなんですけど、つまり“石破内閣” の今後の見通しっていう“予測”、 あちこちで盛んに交わされるそんな議論の正当性も妥当性もあまり信用したくないというよりはそもそも興味が持てないですし、異論や反発もまた然り、つまりあたしなりに秒で察した“世界線” っていう違和感が思わせることは“意外な石破選出” っていう見立てに興味を付き合わせられないもののはずで、むしろ“当たり前” に反発的な理解として、きっと“その通りにはならない” っていう使命を石破さんは背負っている気がするし、それは当人の心づもりとかそういうことではまったくなく、むしろ当人にそんなつもりはない方が自然な、とはいえ“世界線” として許容される要職として彼は総裁に選出されるべき存在として存在するんだろうなんて気がどうしてもしてしまうし、彼にはそのつもりはなくても彼は彼を勝手に見立てて“予測” する人たちの筋書きをきっと裏切るんじゃないかと思うんですよね。
もちろん、彼にそのつもりのあるなしは関係なくってこと。
少しでも興味があって情報に触れている人ならわかるかと思うんですけど、辞めるとなった途端に岸田首相への評価言質が掌を返したように軟化、あるいは好評に向いた気がする、そんな傾向が強い気がするんですよね。
もちろんお疲れ様祝儀もありますよ、形はどうあれでも一国を背負った人物の引き際に礼を向けられないなんて日本人の流儀にもとることだと思うし、どう手加減しても首相としてさまざまな裏切りを負いながら“ガス抜き” すらも一身に背負ったことは事実かと思うんですし。
つまりともすれば一番不正確な、あるいは“非常識” な感覚って、それを振る舞うものってなんなんだろ? っていう“当たり前” にたどり着く違和感、てことなんですよね。
気になってくるのは。
言うだけなら簡単だ、とか嬉々として首を刈り取るような言質を誇りたがるつもりはないですよ。
それぞれに社会的な役割があることくらい理解しますよ、それこそ”当たり前” に。
そうじゃなくて、問題はそんな逐一の“常識” と思わしくものを受け取る側の意識みたいなことなんじゃないのかと。
ネットやニュースで見聞きすることを丸呑みの如く許容して見知ったの如く言い腐る振り翳す見下す吐き捨てる。
新装開店のラーメン屋さんに一度ばっか言ったきり、知ったふうなこと言って腐すばかりが世間なのは誰もが理解することかと思うんですけど、あたしはそういうの大嫌いなので気をつけるし、そもそも評判にたかる根性も感度こそ大嫌いなので流行りには向かわないし行列にそっぽ向く不経済主義も甚だしい穀潰しなんですよね。
安請け合いしないし、共感もしない破綻先導主義。
世間全般に対する非共感性不適性も甚だしいんですよね実際。
だからって、自分のことばっかはとことん考えてジリ貧のごとく面倒臭いんですよ。
せめて自分のことばかりくらい、自分に説明できないなんて格好悪いと思うので、世間が何言ってるとかそれが“常識” だの好ましい態度だのって、そういうこと馬鹿とは思ってもこれっぽっちも信用したくないんです。
一回行ってみたきりで知ったふうなこと言いたいだけの無責任で薄情なだけの馬鹿が言い腐る評判や“常識” なんて信用したがる方が馬鹿ってものじゃないですか。
なにかおかしなこと言ってますか。
あたしは石破さんのことなんかこれっぽっちも知らないですよ。
田中角栄に散々世話になりながら、それを裏切って中曽根に寝返ったとか、目に見える“事実” だけを切り取った他人の言い草なんて丸呑みにして決定できるはずがないしそれを批判できるほどあたしこそまともな人間のつもりなんてこれっぽっちもないんですよね。
その上で、あたしなりに秒で察することを疑うつもりもないってこと。
そういう感覚って一朝一夕には成らないはずのことかとは思いますし、根拠も証拠もない話ですよ。
でも、単純に感じてしまうことってあるじゃないですか。
そんなもん、これっぽっちも意味も興味こそ感じねえ。
みたいな。
個人的には前回の投稿でお話しさせてもらった通り、これから世界で巻き起こることの逐一を真に受けるつもりがないですし、勝手に流れてくるそれに対する見解や情勢を鵜呑みにする気こそないんですよね。
これから世界は、ひいては日本こそとんでもない有り様に突き落とされることかと思うんですけど、それを“とんでもない有り様” と感じるのはそう感じる人たちだけのことで、伝わらないかとは思うんですけど、あたしは今現在世の中は然るべき方向性として最善の道を進んでるって当たり前に思ってるんですよね。
そうとしか受け止めようがない、っていう心境を疑う理由が見つからないし、思い当たらないんですよね。
そんな経過の中に自分の死亡する事実が含まれていたとしてもですよ。
石破内閣としてこの先見込まれるさまざまな事象を解説するお話は世間に溢れまくってますけど、それって本当かと思いますか。
真に受けるに適当として、当然として許容出来ますか。
あたしはそんなのつまんないですしそもそも疑わしいですし、まともに付き合える気がしないです。
だって石破はもちろん、麻生の失脚なんてことこそ誰も一言も言わなかったじゃないですか。
人類は、人類について相応しく不正確ですよ。
それを知らないなら、真に受けるばかりなら本当に、不正確で無責任なだけ。
そんなのつまんないじゃないですか。
知るべきとするのは人類ではなくてたかが個人として、それぞれとして適うべきことのはずで、それがなによりとして“予測”するに適うそれぞれの“事実” として予期して真に受ける価値こそある気がするし、それは見聞きすることももちろん含めた上で個として統合して現れる“感覚知” でしかない気がするんですよね。
その人にとっての“事実” は、その人によるものとしてしか存在しない気がするんですよね。
それ以外は事実じゃないんですよ、その人として。
“世界線” ってつまり、その人それぞれが導く境界認知だと思うし、それを認識出来ない、したくない人は他責に逃れて間違えるんですよ、例えば変なお注射だとか。
この世に全体とする“事実” なんてものはきっと存在しないですし、その上で積極的に認識して許容するべきその人それぞれの“事実” というものは必ずあって、それを蔑ろに、先導的に歪めるのも、積極的に、俯瞰的に認識を促すのもニュースやSNSっていうメディアで、認知は如何様にも操れるし受け取れるし自覚的にこそコントロール可能な選別の糸、意図のことかと思うんですよね。
いよいよメディアに現れるものは甚だしいですよ実際。
隠すつもりも明かすつもりもないダダ流れるさまざまな“事実” らしきを、あなたはあなたとして理解して許容する“当たり前” として、“事実”として積極的に咀嚼して想像して理解して“予測” するべきかと思うんですよね。
量子の世界でもとっくに“時間” は”概念” としてその認識を架け替えられつつあるらしいですし、それは魂とか時空とかちょっとアタマおかしい話にもいよいよ直結するお話になってくるはずなんですよね。
つまりなにが言いたいかって、これから起こることもこれまで起こってきたこともすべては過去現在未来なんてものでは到底説明できない”事実” としてその“事実”的事象はその根拠を改められる気がするし、過去はこれから現れるかもしれないし、未来はとっくに過ぎ去った“事実” を示すばかりかもしれないんですよね。
なんかアタマおかしいこと言ってますかね。
どうせおかしいなら、おかしいついでに話してしまうんですけど、あたしはごく個人的理解か見解的予測として、石破さんがこの国にもたらす、民衆に見させる“事実” がどんな有り様なのか、なんだかわからないこともない気がしてしまうんですよね。
“石破新総裁選出” っていうニュースのポップアップを見た瞬間にこのおかしなアタマの中をよぎったのはつまりそんなことで、ここ数日見かけるニュースやその手の動画なんかでもそんなこと言ってる人はただの一人もいないのでちっとも当てにならないどころかこれはあたしだけが思い浮かべるただの出鱈目に違いないんですけど、言わないですけど多分、察するにまんざらでもない“事実” が現れる気がするんですよ。
この世の目に見えるものを逐一信用しないへそ曲りとして、そんな“当たり前” の感覚としてあたしは日本人のほとんどが出鱈目に付き合わされている気がするし、そんなつもりもなく世界がその程度であることを常に望んでるみたいに見えるんですよね。
その上で、あれが高いあれが気に食わないって常に批判的でしょ。
それにしてもおかげで無事に手に入るものはちっとも手放せないくせに。
ちっとも無事ではないことなんか、ちっとも知りたくないし考えもしないんだし。
つまり意味は違うんですけど、あたしから見るこの世界も、皆さんが“当たり前” として踏まえたがる“常識” も、まったく最善の道を進んでるってことかと思うんですよね。
あたしには滅びる寸前に至る最善の道に見えるし、皆さんはそんなはずはない最善の道であることを疑わないし疑うべきですらないんですよね。
石破さん、楽しみですよね。
政治のことなんかわからないです。
ですけど、現代の“常識” にとってはきっと変態ですよね。
あらゆる人に自身の理解への疑いを促す、自己の混乱を嫌でも自覚させるような事態をひらひらと仕出かす気がするんですよね。
政治の倫理にとどまらない“事実” を謎のごとく突き付けて。
どんなに立派で博識な人がなにを言ったかなんて、とっくに当てにならないらしいんですよね。
それが“総裁選” が明らかにした“事実” だと個人的には思ってます。
つまりは“情報” っていう事実性の崩壊、“情報の民主化” なんて胡散臭い世相にあってむしろ健全な事実かと個人的には“当たり前” に感じさせられるんですけど。
同じく言えることは、あたしのこんな戯言こそ当てになるもなにも単なる出鱈目で、ひいてはあたし自身にとってのみのまったき“事実” ってことでしかないはずなんですよね。
そんな出鱈目の信憑性こそを、これからあたしらっていう人類は個々に思いついて身に付けて真に受けて生きていく必要が、そんな自覚や自己信頼の健全性こそが試されてるって、とっくに思ってるんです個人的には。
もちろん近い将来、そのせいで死ぬ可能性だってあることも含めてですけど。

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