疑いなく行き渡る経済の果て

どうして、そのお店を選んだんですか? マーケティングとか販促の勉強をしていて、たびたび出くわしたのが”お客さんに来てくれた理由を訊くと良い”というロジックなんですけど、当時はなんだか気が進まなくて、そんなこと訊かれてもお客さんも答えづからろうよなあ、なんて、あまり実践する気にはなれなかったんですよね。 もちろん、今だってそんなことは訊きたいとは思わないし、罷り間違って尋ねたとしても返ってきた答えを快く聞き入れられる理解や感度は、おそらく自分にはないだろうって思っているんです。 だって、違いすぎる気がして仕方がないですから。 どうして、そのお店を選んだんですか。 月並みな話はつまらないのでバッサリ切り捨てることにするんですけど、要するに、普通の人はその目的についてその人なりに受け止めるメリットについて思索を巡らすものだと思うんですよね。 安さ、便利さ、都合、センス、評判、付き合い、なんでもいいです。 そんな上で、お金を払うに適うとして選択するものだと思うんです。 すごく当たり前の話ですね。 だったら、どうしてそのお店以外のお店に行きたくなるんですか。 これってたぶんなんですけど、きっかけはその都度の事情にしても、結局のところ同じ選択の延長線上であることには違いないはずだと思うんですよね。 つまり、 どうしてあのお店ではなく、そのお店を選ぶんですか。 その双方の答えに、”目的におけるメリット”が何よりの理由になる、その比較結果でしかないことくらい、アラズヤ商店だってわかります。 味気ない話かもしれないですけど、経済という効果には何よりの話ってことですよね。 選ばれる循環で発展してきたものが”経済”と言っても過言ではないはずで。 それが”当たり前”、っていう”不文律”からはみ出したい。 ”価値”と誰もが信じて疑わない理由や目的という”不文律”からはみ出したい。 はみ出すべき。 そんな時代はとっくに終わってるはずなんだし、ってアラズヤ商店はずっと、かなり本気で思ってるんですよね。 だって今の世の中ってこんなにも満たされながら、それでもほとんどの人たちが物足りないのか満たされないのか、愚痴や悩みに苛まれてキリがないって、絶対おかしいじゃないですか。 当たり前にそう感じるじゃないですか。 きっと何かが間違ってるせいだって、当たり前に感じてしまうじゃないですか。