投稿

1月, 2024の投稿を表示しています

疑いなく行き渡る経済の果て

イメージ
どうして、そのお店を選んだんですか? マーケティングとか販促の勉強をしていて、たびたび出くわしたのが”お客さんに来てくれた理由を訊くと良い”というロジックなんですけど、当時はなんだか気が進まなくて、そんなこと訊かれてもお客さんも答えづからろうよなあ、なんて、あまり実践する気にはなれなかったんですよね。 もちろん、今だってそんなことは訊きたいとは思わないし、罷り間違って尋ねたとしても返ってきた答えを快く聞き入れられる理解や感度は、おそらく自分にはないだろうって思っているんです。 だって、違いすぎる気がして仕方がないですから。 どうして、そのお店を選んだんですか。 月並みな話はつまらないのでバッサリ切り捨てることにするんですけど、要するに、普通の人はその目的についてその人なりに受け止めるメリットについて思索を巡らすものだと思うんですよね。 安さ、便利さ、都合、センス、評判、付き合い、なんでもいいです。 そんな上で、お金を払うに適うとして選択するものだと思うんです。 すごく当たり前の話ですね。 だったら、どうしてそのお店以外のお店に行きたくなるんですか。 これってたぶんなんですけど、きっかけはその都度の事情にしても、結局のところ同じ選択の延長線上であることには違いないはずだと思うんですよね。 つまり、 どうしてあのお店ではなく、そのお店を選ぶんですか。 その双方の答えに、”目的におけるメリット”が何よりの理由になる、その比較結果でしかないことくらい、アラズヤ商店だってわかります。 味気ない話かもしれないですけど、経済という効果には何よりの話ってことですよね。 選ばれる循環で発展してきたものが”経済”と言っても過言ではないはずで。 それが”当たり前”、っていう”不文律”からはみ出したい。 ”価値”と誰もが信じて疑わない理由や目的という”不文律”からはみ出したい。 はみ出すべき。 そんな時代はとっくに終わってるはずなんだし、ってアラズヤ商店はずっと、かなり本気で思ってるんですよね。 だって今の世の中ってこんなにも満たされながら、それでもほとんどの人たちが物足りないのか満たされないのか、愚痴や悩みに苛まれてキリがないって、絶対おかしいじゃないですか。 当たり前にそう感じるじゃないですか。 きっと何かが間違ってるせいだって、当たり前に感じてしまうじゃないですか。

気軽で便利でなにかがおかしい

イメージ
 アラズヤ商店は、宣伝をしません。 かつてはしていた頃もあったけれど、やめました。 理由は簡単です。 メリットよりも、デメリットの方が多い気がしたからです。 商売なのに宣伝することでデメリットを被る、って普通の人には理解し難いことかもしれないですね。 普通の人どころか、同じ商売に勤しむ人にとってすら”謎感覚”なのかもしれないです。 宣伝するメリットって、なんだろか。 おかしな疑問ですよ、そんなことは。 メリット云々以前に、宣伝しなければお客さんが来てくれない。 当たり前の話です。 あくまでも段階的な意味で、アラズヤ商店にも宣伝する必要がある時期はあった、ということだと思ってます。 まったく、嫌な体験でした。 そういった実体験というか、実感については折を見てお話する機会があるかもしれないですけど、たぶん普通の人にはわかりづらい話かもしれないのでするかどうかはわかりません。 アラズヤ商店には電話もホームページもないですし、連絡手段はLINEだけ。 それも未認証のOfficial Accountで運用しているから一般の検索には乗らないし、XはリクエストからのDMだからハードル高いし、つまり実質的にはほぼクローズド。 どうして、そんな不親切で閉鎖的環境に身を置くのか。 簡単です。 そんな世の中だからですよ。 便利で気軽で分かりやすく、それが”お客様目線”に立った”商売” 当たり前の話です。 それが”商売”と”お客さん”を繋ぐ当たり前の環境として整備された、すごく快適で親切な世の中ってことです。 すごく快適で親切。 それって、誰のためのものですか。 気軽にアクセスできるお客さんのためですか。 気軽にアクセスしてもらえることを期待するお店のためですか。 そういう世の中だからですよ。 ”気軽”になって、世の中は快適に行き渡ったものらしいんですよ。 本当にそうなのかなあ。 アラズヤ商店はずっと、そんなことばかり思ってきたし、正直なところ違和感しかなかったし、そうした結果”クローズド”っていう指針に当然として目覚めたと思ってるんですよね。 ”気軽”に利用できるサービスが行き渡って、世の中どうなりましたか。 気軽に便利に、世の中”豊か”になって、どうなりましたか。 そうしてこの国は地震に見舞われたんだって、たとえばそういう考え方をアラズヤ商店は少しも否定できない気がしてしまうし...

たかが真っ当として逸脱する覚書

イメージ
ありがとう。 アラズヤ商店は、今日も暇です。 言霊の精神として、そういう言葉を発してはいけないことは百どころではなく承知の上で、それでも発している上には受け止め方はさまざまとしてつまり、たぶんあなたが思うそれは ”誤解” です。 嘘でした。 そんなのはまったく横柄な話で、どうぞお好きにどうぞ知らんけど、の精神においてたどり着いた今日を今日として、アラズヤ商店は暇です。 商売が暇では明日が危ういのは誰しもが思うこと。 トワイエ。 そんな毎日をもう20年近く暮らしているので、”危うさってなんだっけ?”なんて、すっかり呆けたようなしたたかさばかりを自らに躾け続けて今日も、今日の世間を疑り深く執念深く、その欺瞞や誤解を解き明かしてあんぐりと、その饐えた願望と見栄と安心を覆してやらんとして今日も、新たなスタート地点に立つことといたしました次第なのです。 なんでしょう、別に大した意味はないですし、たかがヘアーサロンの戯言などたとえお客さんでも遠慮したいところであることくらい承知の上でこうして無駄な手間を仕出かしたがる無頼派の身勝手人生の末席に座すものとして、これって布石。いわんやなにかしらにかならんかをや。 ”時代は変わった” 本当だろうか。 いや、たぶん本当でしょう。 去年もそんなことを人類は言い続けてきたはずで、その上で、また今年になって一味変わった気がして仕方がないんだよなにこれ、なんて個人的にも居ても立っても居られず。 嘘です。 なんだかまたしてもはみ出したような気分が止めどないだけでした。 世間はなんだか変わりましたよたぶん。 でも、あたしはやっぱり違う方向に向いちゃうんだな、っていうはやる悲しみから今年が始まりました。 とても開発的な心持ちであります。 文脈が破綻しております。 トワイエ。 なんで、そっち向いちゃったの? しかも今更。 なんて、やっぱり共感のカケラもないことを、”商売”なんてちっともどうにもならないことを言わずにはいられそうにないのです。 静かな場所で、お節介なシステムに無駄な便利を盛られず、便利や満足ばかりに踊りたがる要求に計られず、ただの興味か必要として勝手に自発的に辿り着いたものたちだけへの真っ当な示唆として置くものを書いておいた方がいいと、あたしらしくまったく自惚れたことを思いました。 これは宣伝ではありません。 あなたたちというすべて逆さま...