どんなつもりもないしそれぞれにあるだけ

 昨日は本当にゆっくり過ごして、ゆっくりお酒も飲めてゆっくり寝ました。


おかげで機嫌が良くも悪くもなく、やる気があるわけでもないわけでもなく、楽しいわけでもつまんないわけでもない、言うなれば何にも興味がわかないというか夢も希望もないけどそんな気が良くも悪くもなく認知できる感覚というか、つまりは可も不可もなく豊かでも貧しくもなく幸でも不幸でもない、みたいな何かにつけニュートラルな心境とでも言いますか開き直りますかとかただそんなつもりなだけだとか極めてつまりどうでもいい感じ。


いや、そんなことあるか。


可もあれば不可もあるし、豊かなつもりだけれど人目には貧しく映るのかもしれないし、幸でも不幸でもないなんてとんでもない、娘と猫が今日もなんともなく無事であるならそれだけであとのことなんかどうでもいいと常から思っているし、可も不可も豊かでも貧しくてもそんなこと、自分ばかりのことなど自分でどうにかすればいいだけのことのはずだし自分でどうにか出来ることなどどっちでもなくどうでもいいことのはずだとかなり本気で思っている。

それすらもままならない、自分以外の自分ではどうにも出来ない厄介や不幸に見舞われるほど不幸なことはないととっくにわかっているつもりだし、だからこそ、自分程度のことをどんな角度から眺めようが、そんなことは当たり前にどうでもよくニュートラルにしか扱いようもない極めて自由で好き勝手にやればいいだけの瑣末なことだと思っている。

そんなことも当たり前に理解して振る舞えないなんて、まったく意気地のない自覚もない無駄遣いみたいな人生の不幸だと、かねてより思い続けているわけで、裏切り続けてもいるはずで。





つまらないなら、それは自分のせいに決まっている。

まして、あたしはサラリーマンじゃないからいよいよ、すべては自分のせいに決まっている。

仕事がつまらない。

つまらない仕事をしているからだ。

つまらない仕事をしているから、お客にすらつまらないことを口走らせてしまう。

その程度のことを思い付かせてしまう。


だから、やりたくないと言っているのだけれど、それはたかが目的として訪れる類のお客にはめっぽう迷惑な話でしかないらしいのだし、つまらなくてもいいからこちらの都合と条件に合わせろ、なんてことはこちらこそ迷惑も甚だしい話だ、といったことをこのところ言い続けているだけなわけで。


この世のシステムについて順応を深めれば深めるほど、与えられることには寛容で、差し出すことには偏見ばかり思いつきたがる思考の癖こそを深める極めて自覚の鈍い頭のおかしい人たちが少なくない気がしてしまう。

欲しがるのは勝手だけれど、お金を出したからといってそれはあなたのことなどではこれっぽっちもないことを知った方がいい、とまったく当然として感じていたりする。

そんなことは十分承知の上で、勘違いを振る舞わないわけにはゆかずにいることだって理解している。

だからこそ、人間の多くは偏見を手放せないのだし、損得に尽きるわけなのだし。


その上で、この世の有り様を憂うなんて、どこまで欲しがるつもりなのかと、近頃に至ってあたしみたいな人間はいよいよ結構本気で気嫌いするところがあるらしく。

選挙の結果が常に変わり映えのしないところに着地するのは常に建前であることが明らかになるだけのことでしかないのだとあたしは当たり前に思ってるところがあって、だって、これまでの世の中を変えてしまったなら、これまでのあなたが手にしてきたつもりのあなたのことなどではこれっぽっちもないことすら、露に消えかなねいことになりかねないのだから、選挙なんて、そんな建前行事などガス抜きにかまけるくらい楽しませてもらえれば十分、なのは無自覚な感情の働きとして当然だと思う。


ただの個人的な考えとして、この世は、この世の人々は変わらないととっくに思っているし、それはまったくの事実でしかないとすら思っている。


あたしがたかが自分を語るにあたって礼儀も態度もわきまえないのは、強い言葉遣いを控えないのは、人を変えることなどできないとわかっているしそんなつもりも期待もとっくに完全に諦めているからで、その上で、自分が変わっていくしかないと思うより他にないからだ。

せめて自分が変わって、自分が望まない対象から省かれて仕舞えばいいだけのことを振る舞っているに過ぎない。

自分の望まないものに望まれることなど、ちっともの望まないからだ。


世の中の景気が上向けば、そこに組み込まれて生きている人々はそれぞれの立ち位置ごととはいえそれなりの恩恵を望めるのだから、何もしなくてもおとなしく従ってさえいれば安泰、なんて自覚のなさも知恵のうちなんだと思う。

あたしは世の中の仕組みに属していないし守られてもいない上で、税金だけはまともに見込まれるだけの立場として、世の中の景気になどこれっぽっちも興味はないし、そんなことは何の理由にもならないしむしろ不愉快でしかない。

そんなこんなのすべてをこれ幸いとする生き方をしなければ、ただの地獄でしかない生き方を選んでいることをちゃんと理解するべきだと、頭ではわかっているだけの生き方を、振り切れない生き方を、たいそう長いこと自分にしつけてきてしまったものだと、すっかり呆れている。


新札、手に入れましたか。

あたしはまだ一度も見たことないです。

お客さんから支払われたことはもちろん、スーパーの精算機から現れたこともない。

とはいえ、これといった興味こそないのだけれど。


ただの想像として、そんな意味を自分なりに紐解く程度の興味も思いつけない類のただの欲しがりみたいな感性を恥ずかしげもなく振る舞う類の人間が、あたしは嫌いです。


やる気があるでも楽しいでもつまんないでもない気分でいられるうちに言いたいことを言ってしまえと思うばかりですし、それはこれまでの常識や感覚を鵜呑みにしたきり疑いのかけらもない類の人には甚だ不愉快な文脈にしか読み取れないことかと思うんですけど、それってかなり立ち遅れた感覚に留まってるはずなので、とっくにダメなんだと思うんですよね。

とお伝えしてみたところで理解不能かとは思いますが。


誤解が多過ぎたんです、この国は。

それが誰の仕業による結果なのか、なんてことはちっとも通じない話だし短くない話になってしまうからそんな無駄な手間は払う気もないんですけど、でもそればかりによることでもあるとしてもいいくらいには極端な民族の退廃っていう有り様のはずで。


もうとっくに手遅れですし、残された手札の中でも十分に通用する新しい価値を相応しく選んでしっかりと気分良く生きていく、その術をちゃんと整える必要があると思っているだけなんですよね。


”商売”なんて考え方や感覚の交換なんて廃れた理解は、すっかり立ち遅れて今後に先送りしただけの後悔の種でしかないはずですし、とっくに遅すぎる話のはずですし、とはいえ未だにそんな話をしてもちっとも伝わらないし、気付きたくない理解したくない人しか見当たらないばっかなんですよね。


そんな情けなく惨めな確率でしかとっくに人間の運命は残されてないはずだし、許されないはずでしょ、っていう話をしてるだけです。


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