どうしたら気が済むのか言ってみろ
世の中は、未だに何かにつけ執念を焚いて諦めないものらしいのだけれど、だからこその思う壺、みたいな話をしたい気がしています。
”エモーショナルな刺激を、いよいよ疑え”
個人的にまったく腑に落ちなかったはずのことを、どういったわけかここのところ何となく、満更でもなく意識しないでもないらしい自分自身のことをそこはかともなく感じないでもないらしく。
つまり、そんな言い方をしたい程度には曖昧な感覚ではあるのだけれど、ということなのだけれど。
先日のトランプさんの一件、個人的にはとても気味悪く感じさせられるばかりだったりします。
もちろんセンセーショナルな出来事ではあったし、よもやの結末に至らなかったことは世界的に良好な顛末ではあったはずなのだけれど、多分ですけど、アメリカ国民以外にここまで馬鹿騒ぎしているのは多分、日本人だけのような気がしてしまうのはあたしだけなんでしょうかね。
単純に、違和感を覚えるんですよ。
都知事選は後の祭りばかりが盛況で、選挙自体は消え失せたように、当選した本人こそ消え失せたの如く存在感を感じさせない知らぬ存ぜぬの横綱相撲ですか。
なんか、おかしくないですか。
ここ数日だけでも小池より、安倍の文字を余程多く見かけることに不自然を思いつくつもりはないですけど、トランプの無事がどうしてそこまで日本人に刺さるのか、個人的には違和感の方がよりお節介に浮かぶもので。
"Make America Great Again"
自国ファーストを声高に叫ぶトランプを、属国である日本の国民が手放しで支持してその身の無事に安堵する。
それほどでもない人々をこれみよがしに論って晒し者にする、唾棄する、排除を望む。
まるきりわからないでもないけど、今年十一月の彼の再選を微塵の疑いもなく確信して歓喜する日本人の少なくない人々の意図が個人的にはわかりかねるというか、それはトランプ批判ではなく、自国の政治家には少しの興味も信頼も思いつけない国民が、事実上占領されているに等しい状況にあってその占領国の次期大統領と召される人物を手放しで支持する意図というものは、かなり深刻な”洗脳状態”なんて思えないでもなくて、個人的にはすっかり気味が悪いし、バイデンよりトランプの方がまだマシ、とかそういう話でこそない気がしてしまうのだけれど、それはそれとして付き合わせたところで右だ左だと知ったふうなことに捻じ曲げこじつけてまともな話にならないことこそとっくの事実として繰り返されるばかりのはずで。
個人的には右巻きでも左巻きでもないつもりですが、その国に暮らすということは少なからす”権利”として右側に寄りがちになることは当然で、皇室批判をゴシップに並べて面白がったり、自国の首相はクソにしながら占領国の権力者の威容には呆気なく心奪われる、といった立場に見られることにはいささかでもなく然るべき抵抗を覚えます。
正義と美談にばかり心易い近頃の日本人の無節操な感性には、個人的には少しも共感できずにいるんですよね実際。
何事にもそうですよ、わかり易いことにばかり、それに賛同出来ることに自己肯定感を投影して腑に落ちる、心ゆきながら、それ以外のものを容易に敵視して唾棄する、排除してままなるものとして容赦無く振る舞える近頃の風潮が本当に気持ちが悪くて、同じ日本人ながら少しも好きになれない。
戦争に向かう世相を容認する気はないけれど、そうならないための”自国ファースト”を標榜するものを知らないし知ろうとしない今のほとんどの日本人の思考や感度ははっきりと、洗脳された羊さながらのような気がして仕方がないんですよね。
食い違うことを容認しながらバランスを取ったのが多分”安倍晋三”という人物で、裏で手を握り売るものも売ったかもしれないけれど、安売りではなくトレードオフとして譲れないものを守るためでもあったはずであることを日本国民が知りうる軌跡は数々残っているはずで、安倍を挟みプーチンとトランプが歓談を交わす場面一つにもその秀でた外交力は認められたもののはずだと思うんですよね。
いい側面もそうとは言えない側面もあるのは当たり前で、たまの一つの不満を掻い摘んですぐに吐き捨てる、正義を履き替えることしかできない口うるさく無駄に熱心な一部の日本人たちの主張はあまりにも他責的で依存的でしかないような気がしてしまう。
占領国の選挙の趨勢について、報道の立場から傾向的客観的主張を含んだ発言をして何が悪いのか、人の命に照らして掛け替えればそれを語る一個人の人格など堂々と批判されて然るべきと、それが正義で倫理のつもりのたかが匿名の言いたい放題なんてまんまと与えられるばかりの幸せな羊の娯楽も甚だしいし、新聞もTV局もそれぞれの政治的指向を明らかにして発言も憚らないなんて欧米では当たり前の文化のはず。
事実を煙に巻く偏向報道を批判しながら、主張を明らかにすることは許容できない、人格まで惡しく決めつけて寄ってたかって吊し上げる。
日本人は何を日本人的感性として、何を国際的感性として了承したがるつもりなのか。
どこに日本人として秀でるべく礼節の一線を敷くつもりなのか。
甚だ信用ならない気がしてしまう。
蓮舫さん叩きの是非について唾を飛ばし合う向きの人たちの鈍感さには反吐が出るし、日本人古来の感性として、”傷口に塩を塗る”という非礼を嬉々として振る舞える見苦しさをまずは当たり前に自覚して恥じるべきではないのか。
主張や志向の違い以前に、人に対する敬意をもって行動に当たる心得が浅薄すぎる気がして仕方がない。
そんなものが、”大谷さん最高”、”井上くん最強”って、そんな安上がりで奢られ好きなだけの浮かれた賞賛、当の本人たちの思いこそは推して知るべしとしても、日和って群がる日本人どもを軽蔑したくなるのはむしろ当たり前の感情ではないのか。
それは言い過ぎかもしれないけれど、おかげでたかが個人的感情としてルッキズム迎合の芸能も勝ちしか汲めないスポーツ報道も嫌いだし、芸術でもノーベル賞でもなんでもいいです、物分かりよく安っぽく個人の成果をたかが流行りに抱き込んで”日本すげえ”的たかが無知向けのガス抜き啓蒙報道も大嫌い。
こじらせすぎですか。
とはいえ、根にある”違和感”みたいなものって概ね違わないはずと思うんですよね、どれを取っても。
目的や意図に対して真摯ではない、という何より指摘して排除するべきたかが前提には蓋をして、安く拘泥したがるばかり安い見栄ばかりが蔓延って言い腐るだけの有り様って、はっきり言って低劣すぎないですか。
知りもしない他人が我が物顔で、たかが匿名として言い腐る。
それを然るべきとして飼い慣らすなら強者、死んだら負けの” SNS”
だから日本人の本性は見苦しいと明らかにされて世界的に恥をかく、見損なわれるような誤解ばかりを招くわけで。
そんな腐れイエローとして。
もうすぐ夏休み。
世の中は浮かれるしはしゃぐのだろうけれど、そんな懐古主義にもそろそろ自覚を思いつくべきタイミングだと思ってるんですよね、個人的には。
エモーショナルな感情にはやっぱり弱いし、ついこの前まで”ガールズバンドクライ”なんちゃって、もうどっぷりとアニメにハマっちゃって聖地巡礼まで仕出かす始末だったんですけど、それもごく個人的衝動として処理する礼節、みたいな自覚の上で反省がなくもない気がしてるんですよね。
”笑顔信仰”みたいなものって、近い将来覆る気がしてるんですよね。
わかりやすくなら、”ポジティブ信仰”でもいいです。
フェスで振り上げる拳も溢れる笑顔も、近い将来には野暮ったい衝動の有り様に墜落する。
文字通りにしか捉えられないならたぶん伝わらないと思うんですけど、誤解しないで欲しいんですよね。
エモーショナルな感情に突き動かされることに耐性を備えられないのは、ポジティブな条件ばかりにおもねることは、ただの傲慢で野蛮な程度に過ぎないって、憚るべき有り様だったって、近い将来の人類はぐっと冷静を心得る、身に付けるようになるんです。
それは残念でも味気のないことでもなんでもなくて、”自覚”っていう然るべき感性の充実と進化のことだと思うんですよね。
そういう話をしたつもりなんですけど、今の日本人ってとっくにたかが140字すらも咀嚼出来ないほどにまで、日本語がわからなくなっちゃったんですよね。
読むことは愚か、聞くもままならないほどに今の日本人は”日本語”を捉えたくない倫理と欲求に、すっかり甘えてるんだと思うんですよ。
甘え切って、馬鹿になってしまったんだとたかが個人的に、勝手に思って嫌ってるわけなんです。
異端でも出鱈目でも下手くそでもいいから、たかが個人の感覚としてその理由をちゃんと説明出来る”日本人”でありたいって、勝手に意識して整えているつもりなんですこれでも。
常からイライラしてるんです。
教科書文法なんて、クソだと思ってるんです。
いいんですよ、勝手にムカついてろ。
そんなおまえは”今の日本人”らしく、まともなフリをしていたいばっかでしかないんだろ。
理由も言葉も、これっぽっちもないんだろ。
勝手にやってろクソつまらん。
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