他人事だと思いたいだけの似たもの社会の終わりは近い
“人は見た目が9割”
なんて身も蓋もないタイトルの本がかつてあった気がするんですけど、それってたぶん身も蓋もないような残酷な事実だと思うんですよ。
”人は相手を見て弁える”
ってこれはたかが個人的な当たり前の理解として心がけるものなんですけど、先のタイトルとほとんど意味が変わらないことのような気がするんですよ。
”カスハラ”
近頃よく目にする耳にするワードなんですけど。
世の中、心得のない人は少なからずいるわけなんですけど、それに遭遇していちいち腹を立てたり傷ついたりするのは馬鹿馬鹿しいことですよ。
あたしは生涯のほとんどを”接客”に費やしてるので、誤解も含めていろんなお人柄に触れて考えさせられる機会は割と多かった人生ではあるはずなんですよね。
結果、まあまあの人嫌いだとかそんな不毛か傲慢の甚だしさはさておき。
一体、誰のせいなのか。”カスハラ”
たかが個人的見解として、”自家中毒”みたいなものと思ってるんですよね。
もっとわかりやすくなら、”自業自得”だとか。
”人は相手を見て弁える”って、そういうことのはずですし、そんな結果としてまきおこる現象ということでしかない気がする、ってことですね。
一つの考え方として、ですよもちろん。
”カスハラ”を仕出かす一人の人物を“カスハラん”とここで名付けます。
”カスハラん”は、生まれつき”カスハラん”だったわけじゃないんですよねきっと。
どんな育ちで性格か、なんてことはいちいちどうでもいいんですけど、とはいえそんなそもそもの性質がさせること、はじめのうちはシャイか臆病かともあれ悪気などこれっぽっちもないつもりの態度が、相手には疑り深くか取っ付きにくく思われがちでしかなかったことが、繰り返すうちに自身に見舞われがちな境遇として、待遇として、無愛想か冷遇が社会から差し出される常としての態度という逆恨みにも似た自覚という偏見に思い当たって、都度に深めながら、それを打ち返す術として徐々に鍛えて身につけたらしい態度、”カスハラ”を発現させて厭わない強固な姿勢をいつの日か些細な事態をきっかけに爆誕させるに至ったものではないのか。
”人は相手を見て弁える”
そうして見舞われる有り様を、”カスハラん”はすっかり自分自身として、厭わなくなってしまったものではないのか。
社会こそが自分を決定した、などとそんな惨めな誤解の欠片もなく嘆きにすら蓋をして。
っていうか、そういう自惚れたひ弱な見栄を自分に許せる人なんか当たり前ですけどあたしは普通に嫌いなので、これはこじつけみたいなただの想像の話に違いないです。
だからって、人間なんてそのくらいには雑な生き物のはずでしょ、自分可愛いばっかの生き物でしかないでしょ、ってことですね。
その上で、自分を如何に躾けるか。
その有り様のことでしかないと個人的には思ってるんですよね。
”カスハラ”を仕出かすような臆病で雑な人やオラつくチンピラみたいな、歓迎するに値しない人たちに世間は、サービスは冷たいですよ。
そんな当たり前の事実に腹を立てるか食い物にする程度の人たちのことを、そんな有り様のことを”カスハラ”なんちゃって、世間は忌み嫌いながら一つの属性としては許容しながら疎ましく視線を逸らしたがるらしいんですよね。
当たり前の話ですよね。
肝心なのは、ここからなんです。
”カスハラ”なんてものは、忌み嫌われて当たり前なんですよ。
そんな当たり前で鈍感な話なんてとっくにどうでもいい、もっとセンシティブに洗練された社会は、もうとっくに目の前まで迫ってきているよ、ってことなんですよね。
その意味がわからないなら、あなたはとっくにどこかで”カスハラ”やらかしてるのかもしれないですよ。
自覚的に振り返ってみてください。
当てにして欲しがるばかりの自分しか思い当たれないなら、十中八九あなたはやらかしてると思うんですよ。
だって、”サービス”はあなたのことを必要とするけど、あなたが思っているほどあなたを歓迎してなんかいないですよ。
酷いこと言ってますかね。
もしそう思うなら、それってあなたが傲慢なだけですから。
あなたに差し出される”サービス”が、差し出すその人の仕事で人生であることを、きっとあなたはあまり親切に想像できていないはずなんですよね。
それって、とっくに”カスハラ”ですから。
”サービス”は、あなたよりよほど真剣に、”あなた”という一顧客を想像しながら"弁えて"接しているんです。
その結果の無愛想や冷遇もあり得ることを、そんな当たり前の関係性をまったく理解しない上での被害妄想を一方的に振る舞う態度を”カスハラ”と名づけて世間は他人事みたいに忌み嫌うつもりらしいんですよね。
なんか、勘違いしてると思うんですよ。
口コミだのインスタ漁るだの、そんな程度の興味や動機ばかりの世間が一体どんな言い草かと、”サービス”はとっくに思って忌み嫌ってすらいることを、差し出される側のあなたはほとんど想像できていないはずなんですよね。
”カスハラ”って、そんなものは世間の一部の特殊な人だけのことなんかではないですよ。
都合と便利と損得勘定だけで”サービス”を見下げて蹂躙する、今の世の中のほとんどの人たちのことのはずなんですよね。
もちろんあたし自身にもその性質はないはずもないから、せめては”欲しがり方”について努めて自覚的でありたいとは常日頃から厳しく意識するものなんです。
面倒臭い話だと思いますか。
そうも言ってはいられない社会がとっくに目の前まで迫ってきているよ、って言ってるじゃないですか。
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