なんもかんも潰れちまえと思いながら営む商売

 欲しいものなんてそんなにないんですよたぶん。

だけど、せっかく朝から晩まで一生懸命働いてるんだしおかげでそれなりのお金がもらえるんだし、って人々は結構無駄金を使う。

何より自分自身をボロく騙してすっかり欲しい気持ちになってボロい満足ばっか使い捨てるみたいな金の使い方ばっかするんですよたぶん。




”カスハラ”とか言っちゃって。

そうやって何かにつけ言い草になりそうな言い草を軽々しく名付けて許容しちゃうから認識として存在させてしまうわけで、そんなもんの総称も通称もなくただの”クレーマー”って普通に呼びつけて相応しく毛嫌いしておけばいいのに、なんだかいつの間にか一部として見受ける風潮かなんからしく見せつけるもんだからなんだか存在理由はなくもなしみたいに誤認してしまう調子の狂った頭のおかしい人って見苦しく幸せに狂っちゃうんじゃないですかね恥も外聞も知性品性のかけらぽっちこそなく。

気狂いって言い方を不適切として毛嫌いした世の中っていうのは、きっとまだ庶民が庶民らしく清く正しく貧しい時代のことだったんじゃないかなって思うんですよね、一つの考え方として。

その後の世間を”失われた三十年”と呼ぶのかなんなのか知らないですけど、言い方を変えれば失うからには得ていたものはあったはずで、”失われた三十年”以前の”満たされたっぽいいくばくか年”とか変な言い方になっちゃうんですけど、そんな最中に何かの気が違っちゃったんじゃないのかと。

気狂っちゃったんじゃないのかと。


かつて”気狂い”っていうのは、ある意味優しみから見た嗜みによる自粛の標的だったのかもしれなくて、”気狂い”と言わしめた一部の人々というのは本当に一部の本当の”気狂い”で、なりたくてなったものではなく狂った存在として”満たされたっぽいいくばくか年”以前の社会的計らいとして、品性として、ある意味労りにも似た計らいをもって自粛される言葉遣いに足る存在として自粛表現を授けられたのかもしれない気がしないでもないんですよね。


そうして間も無く訪れた”満たされたっぽいいくばくか年”

つまりは一億総中流とか言われた時代からバブル景気とかそんなこともあったよな、みたいな頃に至るまでのことなのかもしれないんですけど、きっとそんな調子の中で人々はそれまでの”気狂い”とは違う本当に一部の本当の”気狂い”なんかではちっともない、見苦しく浮かれて掃いて捨てるほどにも増殖した分不相応も甚だしい”新生気狂い”として無様に爆誕したのではないのかと。


そんな爆誕模様も今やとっくに記憶の彼方で、ただその感覚と性分だけを遺伝子レベルで継承するほんの一部というほどでもなく顕著に分布された”クレーマー”として太古のマンモスよろしく場違いも時代錯誤も甚だしく無様を振る舞うに至ったものなのではないのかと。


無様を振る舞わせるきっかけ。

それが”欲しいものなんてそんなにない”ということなんだと、あたしなんかは押し付けでもこじつけでもなんでもなくごくごく当たり前に思い当たる節として納得の如く想像してしまったりするものなんですよね現在地的想像として。


何度も言うようでいけないんですけど、現代の人々なんて実際、欲しいものなんてそんなにないはずなんですよとっくに。

一日中働いて身に余るほどのお金を稼いでみたところで、そんなに欲しいものなんてとっくになかった。

だからこそ飽き足らず見比べて他人より上等なもの贅沢なものを手に入れたいなんて考えるしかないのかもしれないし、そうするべき、そうでなくてはならないような脅迫めいた願望に突き動かされて、臭い見栄に塗れることすら厭わなくなるのかもしれないんですよね。

お金さえ出せば手に入れられるものばかりに価値や意義を見込むなら、そんな欲求はヒステリックな情動に駆られがちなものになることはなにも不思議ではない気がするんですよね。

むしろ当たり前とすら。

だって、それを手にする人は同じだけの価値を払って、つまりはお金を払って手に入れる同族として同等のライバルでしかないですし、だからって同じものを手に入れるのに余分にお金を払って強がってライバルを見下ろしたがる物好きなんているわけないですよ。

つまり、そんな依存的な満足の先を満たすにはもっと上等なものを手に入れるしかないわけで。


そんな同じレベルの、同等の価値を払うしかない者ものたちの中でそれ以上に強がる術はないとするなら、せめてはそれ以下になるわけにはいかない、ましてや損したような扱いを受けるわけにはいかない同族として脱落するわけにはいかない舐められるわけにはいかない、なんてさ、実にせせこましい見栄にこだわるより仕方がなくなってしまうのも必然かと思うんですよ。

同じ価値を払うだけの行為にいちいちオラつく下品な人々というのは、同等の対価以上の何かを威圧して手に入れたがるらしいただの横柄か感性下劣な野蛮人でしかないはずで知能的センスは結構動物界隈、当たり前ですけど人類的な価値なんて見込まれるはずもなく。

まじですか。

見比べてケチつけて見下げて値踏みして欲しがる気持ちなんてどいつもこいつも一緒じゃないんですか。


ただ個人的に思わされるのは、そういったただの害悪でしかない感じの人々って、自らその手の存在であることを隠すことをしないしある意味落とし穴的狡猾さには縁がないところがあって、つまりそういったわかりやすさを標榜する様についてあたしはあまり抵抗を覚えないというか、むしろ色々話早えやくらいの了解がなくもないところもあってですね。

手に負えないとなれば警察に通報することに戸惑いも感じずに済むところなんかもとてもシンプルだし、深夜の牛丼屋で古惚けたヤクザと喧嘩したことありますか? ほんと、馬鹿らしくてため息しか出ないです実際。


言質として共感されなくてもいいんですけど。

あたしが個人的に余程嫌いなのはそういった派手やかに愚かし気な人々より、むしろまともそうな顔つきばっかでちっともまともでもなんでもない腐れた見栄と勘違いも甚だしい人格的マナーの破綻した普通見えしてるだけのただの景色みたいなクソ人間方面なんですよね。

ある意味、害悪的害悪としてあからさまな人たちよりその腐った標榜に長けてる分だけタチが悪いというか単純に自惚れ猛々しいというか、何様として性格最悪、なんて直感的に心の底から嫌ってしまうところがかなりどころではなくあってですね。


”根が暗い”んですよ、満たされて不満ばっか尽きないタチの自惚れ界隈っていうのは。


口には出さないけど態度にははっきりと出ていて、常にヒエラルキーに敏感な腐った価値判断、つまりは他人と自分の程度の見立てにばかり態度を潜ませる意地の汚い独特の気配っていうのがはっきりあって。

もちろん、そういう人たちってそういう態度そのものを自分の常識良識マナーとか人格の標榜とすら思い込んだ節があって、もちろんその通り、思い込んみ通りかなりのクソ価値観の塊としてボロく明らかなはずなんですよね。

はっきり馬鹿より中途半端な馬鹿の方がタチが悪いって、昔よく聞いた気がするんですよね。


害悪は、その場で害悪であることを明らかにして傍若無人を振る舞うんですよ。

ある意味正直でいいし、後腐れないっていうかその場限り感みたいな雑さがむしろ親切とすら。

だって近寄らなければいいだけだし、気の毒にも一度触ってしまったなら二度と関わらなければいいだけじゃないですか。


それに比べてクソ価値観系の普通っぽいだけのクソな人々って、普通にあちこちにいるしなんなら今時の標準仕様ですらあるはずなんですよね。

態度に出して口には出さずに怨念だけ残して手のひらの中で陰口大得意とかそんなんばっかだったりするんですよ。

この際決めつける言質で貶めること厭わないわけなんですけど嫌いなだけなのでそうじゃないつもりならバカがなんか言ってらって、気にしないでくださいよ自覚するほど賢いらしいものらしく。


抱えるストレスは、同じなんですよ。

こっちの話じゃなくて、カスタマー様側の話。

だって、あたしみたいのが関わる”カスタマー様”なんて、所詮高の知れた値段とサービスばっかなのに余計な損得競わせたいばっかの精神こじきみたいなど庶民ばっかに決まってる。

っていうか世間全般ってそういうことじゃないですか。

いちいちラウンジ通ってふんぞり返ってお茶食らうようなとこばっか行ってるんですかどんな甲斐性ですかすごいですねあんまり見習いたくもちっとも羨ましくもないですけど当たり前の品性として。

つまり、差し出されるサービスなんて高知れてなにも変わらない上での話、ってことですよ。


伝わるといいんですけど。


徒に”クレーム”なんてことを思いつく、不平不満をやり過ごせないような気分を自らの消費行動の中でやたらに思いつくなんてのは、所詮欲しくもないことに仕方なく満足かせめてもの納得を求める程度のことしか思いつけないからなんですよ。

お金を払わないと手に入れられないから示された金額を払っているだけで、目的はあってもリスペクトはないから気分は常にわがままと背中合わせ。

せっかく買ったのにあっちの人と違うとか気分悪いとか期待したものと違うだとか理由なんてなんでもござれ、だってそもそもの不満の発端は自分自身の意思薄弱な欲求にこそあるんだから。

安物選びの損切り界隈なんてくそもくそ、差し出す本人目の前に「別にどうでもいい」くらいのこと平気で言うんですよね、「暇なの?」とかそれっぽいこと平気で言いたがる。

まじでぶっ殺すって腹の中では思ってますよあたしみたいのはもちろん。

お前ばっかで食ったこともないくせに、って完全に見下すばっかですもちろん。


失礼なんですよ、感性が。

損得でしか物見れない馬鹿っていうのは。


どうせ欲しがるなら、丁寧に欲しがれって思うんですよ。

もっと自発的な、自覚的な興味を持って、意欲的に欲しがれって思うんですよ。

そういう意欲をそもそも持てない自分の不幸は誤魔化して、差し出したものへの手加減のかけらも愛着もないスレた感情ばかり思いつくことに敏感で、結局見下して構えるばっか。

だからすぐに馬鹿なことを口走る。

自立した意欲や態度が働かないなら、他人なんて当てにする資格ないんですよ実際。


あたしがそういう人間だからそういう人にしか会ったことがない、そういう商売しかしてないせいだってことなら残念ですけど、ふざけんな勘違いすんななんですよお前はつまらん嘘ばっかの教科書かなんですよ実際、そんなつもりはないことくらい自分自身で知っているし、そんなんじゃないお客さんがほとんどだし、そうじゃなきゃこんなに頑張ってこれたはずないんですよ。

あらゆる角度からしょっちゅう馬鹿にするつもりなく馬鹿にされ続けてもこれまで続けてきたのは、腐れた世間になんかわかるはずもないことですしまったくもって自分のためですし、わかるつもりならまずはその洗脳され尽くした働き向きと積極的に自覚する才能のかけらもない小麦粉まみれみたいな粘つく精神性から自覚して見直せって言いたい。

自立して戦う”商売”っていう志を舐めんなって言いたい、たかが給料暮らしの自惚れ勘違い風情如きが知ったふうなことばっか思いつきたがるなって言いたい。



ああなんだ、やっぱりあたしは勘違いしたサラリー風情が嫌いなんだな。



安く済ませたい。

例えばそんなたかが自堕落風情を漏らして飽き足らない程度の世間は、将来ビジュアル&精神クソポンコツ確定風情は、全部クビにすればいいって思ってます。

給料で暮らす人種とは、”働く”として食いしばるべきものが違うのでムカつかれてもそんなもん知るかなんですよ。

これって、至極当然の道理のはずなんですけど通じないんですよね、馬鹿な教育が戦後80十年にもなろうっていうこの国の羊どもにはすっかり。

もちろん経営はますます苦しくなるんでしょうけど、そもそもヘラヘラと見下すしか脳がない失礼なだけの馬鹿に救われるくらいなら死んだ方がましです正味。

たかが金銭より精神衛生を優先するのは馬鹿のすることって、そんな言い草が通用する時代なんてとっくに終わってることにも気づけない人たちが多すぎる気がするんですけどまあいいです。

そんなもんとはじきにお会いすることもなくなる。

そういう変化のスピードこそものすごく早い時代になったし、あたしはあたしが当たり前に理解する”価値観”をいち早く掴んで積極的に変化していきたいばっかなんです。

つまんない古臭いだけの荷物なんかいつまでも抱えていたくない。




商売は、損得なんかで付き合い切れるやり切れるようなものだなんてこちとらこれっぽっちも思ってないから舐めんなって言いたい。

勘違いすんなって言いたい。


あまりにも馬鹿げた世の中の有り様に長らく辟易し続けてきたので所詮あたし程度のこと、馬鹿かろうが無茶かろうがむしろ期待しかないし何しろ心無い馬鹿が大嫌いだし、本当は戦争でも隕石落下でもなんでもいいからこの世なんて人類なんて一度全部ぶっつぶれたほうがいいって、結構本気で思っているところあるから迷うはずもないんですよね実際。

そのくらい今の世の中に親しみを感じていないし価値こそないと思っているし、そんなもんがぶっつぶれる最中にあたし自身が死んだってちっとも惜しくないですよっていうかさっさと死にたいのは生まれつきですから。

そのくらい、今の世の中のことが大嫌い。


今の日本人って、普通っぽい人ほどこっぴどくダサいはずなんですよ。

人としてすっごい卑怯で馬鹿。


本当に大嫌いです。





コメント

このブログの人気の投稿

当たり前を選ぶ覚悟は出来たか

アラズヤ、また変えるんだってよ

勘違いです。それはきみのことなんです。