恒例のTV番組を偽善呼ばわりしたいだけのたかが性悪みたいな
人なんて所詮、身近な他人の不幸に救われないとたかが自分程度も支えられないんですよ。
親切そうに振る舞って見せるだけ、心の中では”ザマアミロ”とまでは思わなくても、”かわいそうに。自分はこいつよりまだマシだな”なんて、嫌でも思いついてしまうし下卑た安堵を隠せない生き物。
それが”人間”っていう、何よりの証拠みたいな心の動きだと思うんですよね。
あたしはとんでもなく嫌な人間なのではっきり言ってしまうんですけど、そういうこと本当に思わないんですよね。
悲劇とか不幸とか、ただの映画や物語でも見るのも聞くの嫌。
いざとなれば避けられるはずもない感情をわざわざ作りものとして見せびらかしたがるなんて問題外ですし、いちいちのニュースや報道なんて整然としてるだけむしろ迷惑。
気が塞ぐようなこといちいち知らせんなって、不機嫌になる。
何もしてあげられないし、同情も理解も安易なことは言うべきではない、なんて綺麗事こそ苦手ですよ。
不用意に戸惑わせないでほしいし、貧弱な自分をわざわざ自覚させないでほしいって思う。
”心苦しい”って、個人的にはそういう心理状態のことだと思うし、自分のことすらどうにも出来ないっていうせめては虚無、率直には自己嫌悪でしかないですよひ弱にも程があるみたいな。
上手く伝えられそうにないんですけど、だからあたしは”所詮”なんて決めつけてせめては嫌うんだと思うんですよね。
だって、”所詮”以上のものが当たり前にあってそれを他人に向けて惑いなく振る舞えるなら、それが本当ならあなたはそれを受け止めて”感謝”だとか、そんな美徳を狼狽えず振る舞えますか。
そんなの、惨めすぎて嫌ですよあたしは。
決定されて惨めすぎて、舌噛みますよそんなの。
”所詮”として遠慮なくあれ。
それを承知の上で喧嘩を売って、残ったものだけ褒めてやる。
その方が楽だし、実感深そうじゃないですか。
面倒なんですよ、意味わからないですし。
あたしなんか”所詮”そんなものとして、決めつけられるような理解らしきものなんかに救われたくはないんですよね。
そんなもの、絶対に筋違いも勘違いも甚だしい不愉快な決めつけでしかないことくらいわかるじゃないですか。
だって、人は見込みで決めつけて”安堵”したい生き物ですよ。
そうでもしなければ不安すぎて、自分ばかりも支えられない生き物ですよ。
なんですかそれ、面倒臭いですよそんなものは。
そんなもの迷惑なだけですし、不愉快でしかないですし、だから何より先にそういう面倒を剥ぎ取った先でしかウチはやる気になれないです、っていう話を、憚らない蛮行を諦められないんですよね。
気に食わないなら、他に満たしてくれるものなんていくらでもあるらしいじゃないですか、似たようなものがあちこちに、らしいじゃないですか。
舐めてんのかと。
伝わらないですよね。
屁理屈ばかりのポンコツですし隠す気もないですし、他人の不幸なんて眺めても気が滅入るだけで手に負えないし聞かされるだけ面倒なんですよ。
心苦しいんですよ、”所詮”として然るべき自覚において。
知ったらしく遠回しに言いくさる話なんか、下劣だしつまんないだけなんですよ実際。
喧嘩する方が簡単だし話早いじゃないですか。
真面目にやってるだけなので、嫌うなら勝手に嫌って心地よく”安堵”に耽ったらいいんです。
そういう感情を持たないのでわかんないですし、付き合わされたくないんですよ。
自分の商売なのに、見知ったつもりらしいたかが不愉快に腐らせるなんてつまんないに決まってるじゃないですか。
ウチは大したものなんかじゃないですけど、そんなもんでもないです。
コメント
コメントを投稿